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1日1食実行中

長い間信じられてきた常識の中でも、「1日3食」という常識ほど当てにならないものはない。

僕自身、1日1食に変えてからもう1年以上になるが、まったく問題ないし、むしろ以前より健康で体調もいいくらいである。


といっても正確に言えば、完全に1日1食というわけではないのだが。

なぜかといえば、元来食べることが好きな僕は、家にいると誘惑に負けてなにかとつまみ食いしてしまうからだ。我ながら意志は弱いほうだと思う(笑)。

だから、僕はせめて仕事に出かける日ぐらいは1日1食にしようと決め、今のところそれは実行できているというわけなのだ。そういう意味では仕事の日だけダイエットしていると言ってもいい。

僕がこれを続けられているのは、仕事中というのはなにかと忙しいのでほとんど何も食べなくてもなんとかやり過ごせるからである。

僕の1日の食生活はこんな感じだ。

まず起きたら何も食べずに仕事に出かける → 昼休憩はおにぎりかパンを1個だけ食べる → 仕事から帰ったら普通に食べたいだけ食べる

シンプルだがこれを毎日実行している。昼休憩でおにぎりを1個だけ食べるのは、やはり完全に何も食べないとキツイからだが、それでも前日の朝(というのも僕は夜勤専門だからだが)ご飯を食べてから、休憩でおにぎりを食べるまでには15、6時間という胃袋にまったく何も入れない時間がある。1日3食という人にはきっと考えられないことだろうが。

だがこれも慣れてしまえばまったくつらいということはない。体重も最初5~6キロ落ちたあとはほぼ変動なく安定している。

本当は、これにプラスして、休みの日は完全1日断食ができれば最高だと思うのだが、意志の弱い僕は今のところ実行できてはいない。

昔から腹八分目というが、これは誠にもって真実であり、人間は特に中年を過ぎたら食べるよりは、いかに食べないかを考えほうが健康になれると今は確信している。ただし、人並み以上に肉体労働する人はもちろん別である。

興味のある方は以下の本を参考にしてみてください。おススメです。

やって良かった! 1日1食/船瀬俊介 (著)

2020年2月13日(木)

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エハンさんの反省

エハン・デラヴィさんは、いわゆる「精神世界」の分野ではかなりの有名人である。ときに関西弁を交えた流暢な日本語で語られるYouTube動画は僕のお気に入りの一つでもある。

彼は2012年にこの地球にアセンション(次元上昇)が起こると予言、一躍時の人となった。

だが、(少なくとも表面上は)アセンションは起こらなかった。2012年は何事もなく通り過ぎた。

以下の動画では、アセンションで大失敗してしまったあとの彼の生活が語られる。嘘つき、詐欺師・・・様々なバッシングにさらされながら、彼は引退を決意し、ついにカナダへと移住する。そこで彼が選んだ職業とは・・・。

彼の人柄がにじみ出た「大爆笑」の動画をぜひご覧ください。




『パワーか、フォースか 改訂版』/デヴィッド・R・ホーキンズ (著), エハン・デラヴィ (翻訳), 愛知ソニア (翻訳)

『聖なる国、日本 欧米人が憧れた日本人の精神性』/エハン・デラヴィ (著)

2020年2月9日(日)

掃除ができて一人前

最近になって思うようになったことの一つは、「人間は掃除ができるようになって初めて一人前なのではないか」ということである。

逆にいえば、掃除もまともにできないようではまだまだお子ちゃまということだ。

これは一見極論のように聞こえるかもしれないが、なかなか考えるに値するテーマだと思っている。


特に男に関していえば、どんなに社会で成功していても、どんなにお金を稼いでいても、自分の部屋ひとつ掃除できない人というのはとても多いのではないだろうか。掃除どころか自分の身の回りのことさえ満足にできない人も多い。つまり、彼らは僕の上記基準からすれば、全然一人前ではなく、そこらのガキと変わらないということになる。

逆にごく平凡な専業主婦であっても、家の中はチリひとつなく、常にピカピカに保っているような人というのは同じく上記基準に沿っていえば立派な大人であり、人間としてある程度完成の域に達しているということになる。

これもあくまで僕の個人的観察だが、どんなに社会的地位が高い人でも、奥様に頭が上がらない人が多いのはやはり同じ理由とリンクしているように思う。つまり、女性は日常の掃除を含む家事全般を通して、人として生きるのに最も大切な「人間修行」をごく自然に、当たり前のように、日常的に行っているのである。だから最終的には男は女にはかなわないのである。

世のほとんどの男性は、たとえば日々のトイレ掃除というのがどんなに大変なのかを考えることすらしないだろう。トイレなんかキレイなのが当たり前と思っている人もけっこう多いかもしれない。

しかし、うちの嫁を見ていてある日気付いたのだが、彼女はほぼ毎日何の文句も言わず、黙々とトイレ掃除をしている。結婚してから「たまにはトイレの掃除ぐらいしてよ」などと文句を言われたことすらただの一度もない(たまには言ってもいいよと思っているのだが)。

この事に気付いてからというもの、さすがにトイレの掃除というわけにはいかないが、僕もたまに食器を洗ったり、洗濯物を取り込んだり、自分が寝る部屋の掃除ぐらいはするようになった。だが、嫁と比べれば、まだまだ僕も「小物」である。僕がトイレ掃除をやれるようになったとき、初めて僕は彼女と対等になれるだろう。

以上をまとめると、女性のすごさとは、「自分以外の家族のために愛からくる無償の労働を日々行なっている」ということである。世の中で最も尊いことは「他者のために生きること」であるから、世の女性たちはごく自然にとても大きな徳を積んでいるわけだ。

さて部屋の掃除でもするか(笑)

2020年2月9日(日)

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仕事に感謝

若い頃は仕事に感謝するなんて考えもしなかった。

僕にとって仕事とはイヤなものであり、生きてゆくためには仕方のない、避けることのできない重荷のようなものであった。

仕事なんかしないで、毎日好きなことをして、楽しく暮らせたらどんなにいいだろうとずっとずっと長い間思ってきた。

たとえ理屈ではそんな考えではダメだとわかっていても、僕の心が許さなかった。僕はほんとうに仕事が嫌いだったのである。


だが、50代になった今、その考えが大間違いであったことにやっとのことで気付くことができた。理屈ではなく、心の底から納得したのである。

根が怠け者で、体力に自信のない僕にとって、仕事とは正しい社会生活を営む上でなくてはならないものだったのだ。

仕事があるから僕は毎日決まった時間に起き、お風呂に入り、服を着替え、身支度を整え、いちおう他人から見られても恥ずかしくない風体を装い、会社に出かける。そして会社では毎日8時間以上も「仕事がなければ絶対にやらないであろう」無数の経験を毎日させていただいている。立ち、座り、歩き、走り、汗をかき、笑い、怒り、話し合い、読み書きをし、パソコンを打ち、問題を解決する。

思えば、怠け者の僕がこうして曲がりなりにも健康を保てているのは、たとえイヤイヤながらではあっても休まずに仕事に励んでいるからなのである。

もしも仕事をせずに遊んで暮らしていたら、僕はブクブクと太って、とっくの昔に死んでいたであろうと思う。ほんとうにそう思えるほど、僕は元来身体が弱いからだ。

最近特に驚くべきは、体調が最悪なときであっても、無理して仕事に行ったら帰る頃にはなんともなくなっていることである。つまり、仕事で身体を動かすことは、時に病気さえも吹き飛ばしてくれるのである。

結論:仕事とは最高の健康法であった(笑)。少なくとも僕にとってはね。

これでお金までもらえるんだから。もう給料で文句を言うのはやめよう~(笑)。

2020年2月8日(土)



我が家の光

小6の息子が修学旅行から帰ってきた。

たった1泊2日の旅行なのに家の中はまるで火が消えたようであった。

僕は彼の不在を深く心に感じ、改めて神に感謝していた。彼を我が子として育てられる喜びを・・・。


さてさて、今回の修学旅行で、息子はまたしても僕を驚かせるエピソードを残した。

出発の日の朝、僕は夜勤のため見送りには行けなかったのだが、嫁が車で息子を学校まで送っていった。だが、息子は突然嫁に「A君を一緒に送ってあげてもいい?」と聞いたというのだ。

A君といえば乱暴者で、どちらかといえば皆から敬遠されているような男の子だった。僕もそのことは嫁や息子から聞いて知っていた。息子も以前はよく一緒に遊んでいたのだが、いつの間にか遊ばなくなっていたようだった。

だが、息子はそんなA君を一緒に学校まで送ってあげてほしいと嫁に頼んだのである。

聞けば、A君は家庭の事情により、親御さんが学校まで送ることができないとのことだった。そんな彼をかわいそうに思った息子は誰に頼まれるわけでもなく、自発的に今回の行動に出たというわけだった。

おそらくA君は今の息子にとってあまり好きな友だちではなかったかもしれない。だが、そんな友だちに対してでもこのような思いやりを持てる息子のことを僕はとても偉いと思ったのだ。さすが我が子、よくぞ言った息子よ。

嫁がA君を一緒に送っていったのは言うまでもない。2人は車内で楽しそうに話していたそうだ。


さて、修学旅行帰りの迎えは嫁が仕事のため、僕が迎えに行った。

旅行は本当に楽しかったようだった。家に帰る途中も、家に帰ってからも、彼はこんなことがあった、あんなことがあったとずっとずっと喋りっぱなしだった(笑)。親から聞かれてもポツリポツリとしか話さなかった僕とはまるで正反対である(笑)。

消えていた火がポンと灯った。彼は我が家の光だ。

キッザニアにも行ってきました~
IMG_1187.jpg

2020年2月8日(土)

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「ありがとうございます」と言える人々

日々ホテルフロントで対面接客の仕事をしていると、つくづくいろいろなタイプのお客様がいるものだと思う。

それがまたこの仕事の面白さでもあるわけだが、今日は我々サービスを提供する側から見てほんとうにすばらしいと思う人々(お客様)について書いてみたい。

それは、我々フロントサービスに向かって「ありがとうございます」とはっきり言える人々である(ホントにいるんですよ、これが)。

実のところ、これには最初ほんとうに驚いた。なぜなら、「ありがとうございます」と言うのは常に私たちフロントサービス側の人間であると僕は常々思っていたからである。

しかし、チェックインの際にルームキーを渡されたあと、時には少し会釈までしながら「ありがとうございます」とはっきり言ってくれるお客様は意外なほど多いのだ。実際に数えたことはないが、感覚的には10人のうち2~3人はいるという印象である。しかも、年配者よりは20代、30代の若者のほうが圧倒的に多い。どうやら、今の若者たちは僕たち昭和30年代の世代などと比べても、はるかに道徳的で意識が高いようである。日本の未来は明るいと思う。


恥ずかしながら、僕自身は自分が客という立場になったとき、「ありがとうございます」と言うことはほとんどない。言ったとしても、とても店員さんの接客応対がよいときのみ「どうも~」などと軽く言う程度である(笑)。

だから客の立場で「ありがとうございます」と言える人はほんとうにエライと思うのである。年令に関係なく、人として純粋に尊敬してしまう。

そういう人たちって、日常生活もとても礼儀正しく、人としての思いやりに溢れた人たちなんだろうなぁ、などと想像してしまう。

ちなみにオジサンたちがよく言う「ありがとう」はないよりはマシだが(笑)、今の日本語の語感としてはあまり気持ちのよいものではないというのが僕の個人的な感想である。現場ではその態度も含めなんとなく威圧的な印象を与えることが多いからだ。

やはり「ありがとうございます」が今の日本語としては一番気持ちがよく、ただしい感謝表現だと思う。

とにかく男でいかにも金を持ってそうな人、社会で地位が高そうな人たちほど接客をしていて気持ちが悪いものはない(笑)。もちろんお金や地位があっても、それなりの品格を持っている人もいるにはいるのだが、その割合はとても低いと言わざるを得ない、というのが現状だ。男の勘違い野郎とは、ほんとうにどうしようもないものだな、と同じ男ながら情けないと思うことしきりである。それに比べれば、女性には正しい感覚を持った人が多いと思う。

僕も相手が誰であれ、必要なときに「ありがとうございます」と言える人間になりたいものだ。人生まだまだ勉強だ。

2020年2月2日(日)

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僕の中の母性

僕のブログに「子育て記事」が比較的多いことは、おそらく読者の皆さまもお気付きのことだと思う。今後も折に触れ子育て記事は続いてゆくであろうが、ひょっとしたら「男にしては珍しい」と思っている読者もおられるかもしれない。

今でこそイクメンなどの言葉が一般的になったが、昭和30年代生まれの僕の世代にはおよそ夫が積極的に子育てに関わるなどという雰囲気はなかった。子育ては完全に妻に任せきりという時代だったし、実際僕の周囲には子供が好きという男性は非常に少なかった。「男は仕事」という時代でもあった。

だが僕自身は不思議なことに若い頃から自分の中に母性に近いものが存在することを意識していた。

とにかく子供が好きで好きでたまらないのだ。そして、赤ちゃんや幼児のめんどうを見ることに無上の喜びを感じるのである。

だから、僕が子育てをするとき、それは親としての役割分担だとか、妻の負担を減らすといった半ば義務的なものではまったくなかった。単純にそれは僕にとって喜び以外のなにものでもなかったのだ。

ゆえに、僕の子育て日記は、今世の中にあるいわゆるイクメン系日記とはその性格からして異なっているであろうと推測している(というのも、僕は他の人の日記をほとんど読まないからだが)。

よって僕の子育てはこれまであまり世の中にはなかったユニークなものであり、親と子の関係もおのずと特別なものにならざるをえないと思っている。

たとえば、ウチの息子は僕のことを「カワイイ」と言い、自分で言うのもなんだが僕のことを溺愛してくれている(笑)。しかも、それは冗談ではなく「本心から」言っているのである。自分の父親のことを「カワイイ」という子供なんて今まで聞いたことがないし、「しょーがねえなー」とも思うのだが、これが本当に起こっていることだから仕方がない。(ちなみに私普通のオジサンです、笑)

これ一つを取ってみても、僕と息子の関係性が極めてユニークなものであるということがおわかりいただけと思う。

今日は僕の中の母性について少しだけ語ってみました。

2020年1月28日(火)

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愛情だけはいっぱいあげたよ

子供も中学生に近くなってくると、だんだんと親の手を離れてゆくという感覚があるものだ。

いろんな事が自分一人でできるようになってくるから、おのずと一緒にいる時間も少なくなってゆく。

まだまだ子育ては続くが、そんなわけで手取り足取りめんどうをみるという子育て期間はもう終了だと自分では思っている。


今思えば、生まれてからここまでの子育ては僕にとって本当に幸せな時間だった。少なくとも僕自身は大変だったという思いはまったくといっていいほどない。実際、彼を育てる喜びは、自分の人生の中でも最大の喜びだったと言えるほどだからだ(もちろん嫁の力なしにはそれは成し得なかったが)。彼は本当にすばらしい子供だった。

将来大人になった息子に僕から自信をもって言えることがあるとすれば、それは「愛情だけはいっぱいあげたよ」ということだろう。

けっして裕福な家庭ではなかったが、母親と父親の両方からこれほどの愛情を受けて育つ子供はそんなにいないのではないかと思う。いつも抱きしめられて、溢れるほどの愛に囲まれて、完全なる安心と保護のもとで彼は幼少時代から今までを過ごしてきた。

少なくとも自分の子供時代のことを思い返すと、親と子の関係性にそれこそ天と地ほどの違いがあるものだと自分でも驚いてしまう。というのも僕にとって父は尊敬こそすれ、ただただ怖い存在であったからだ。けっして心を開いたことがなかったようにも感じるほどに。

まあこれも昭和と平成という時代の違いもあるのだろう。

さて、愛情をいっぱいもらった子供がこれからいったいどんな風に育ってゆくのか・・・。それも、これからの子育ての楽しみの一つである。

2020年1月25日(土)

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天皇陛下のお人柄

現在の天皇皇后両陛下は共に人格と品格の両面を備えた大変すばらしいお方だと思う。

僕は天皇など不要というような雰囲気の昭和の家庭で育ったが、年齢を経るにつれてそれは大きな間違いだと思うようになった。今では、自分の両親も誤った教育の中で育ったがゆえ、それも仕方なかったのだと思っている。


天皇陛下というお役目が、いったいどれほどの責任と重圧を伴うものなのか。僕には想像さえできない。

だが僕は先日愛子さまが18歳になられたときのビデオをYouTubeで発見し、その映像からにじみ出る天皇陛下のお人柄にひたすら感心してしまったのである。

その映像はこちら⇒https://www.youtube.com/watch?v=KAoV5sC4sJc

日々激務といわれる公務をこなしながら、陛下は一人の父親として愛子さまに対してまるでお手本のような接し方をされている。しかも陛下は意外なほど口数も多く、実に生き生きと愛子さまと会話を交わされている。そこには父親としての威圧感とか、上から目線といった態度は微塵も感じられない。

このお姿を拝見して、陛下はほんとうに立派なお方なのだと納得し、ますます敬愛するようになった。

思うに、自分の親や家族に対する普段の態度ほど、その人となりを表わすものはないのではないだろうか。そう思うと僕は自分のことがとても恥ずかしくなった。自分もたとえ1ミリでもいいから陛下に近づけるような人間になりたいものだ。

天皇陛下万歳。この国に生まれてよかった。

2020年1月20日(月)
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接客は最初の一瞬で決まる

長年サービス業の仕事をしてきたが、自分が客という逆の立場になったときにいつも感じるのは、まったく接客の「基礎の基礎」もできていない人が多いということである。

まず、最も基本的なことは、「接客は最初の一瞬で決まる」ということだ。

お客様と対面したその瞬間にどんな印象を与えるのか?極論してしまえば、それですべてが決まるといっても過言ではない。


接客業をする人は、お客様がいったいどんな心理状態で店に入り、カウンターに向かってくるのかを一度ゆっくり考えてみたほうがいい。逆の立場になって考えてみるのだ。

確実にいえるのは、どんな業種であれお客様は「明るく、温かく迎えてほしい」と思っていることである。まあ、これぐらいは誰でも少し考えればわかるはずなのだが、まったくその正反対に「暗く、冷たくお客様を迎える」接客をしている人のいかに多いことか・・・。

「あなた、そんな態度しかできないのなら最初から接客なんかやらないほうがいいですよ、向いてないですよ」と言いたくなるような人が本当に多い。

まあその原因の一つは客の側にもあるのだと思う。あまりに常識のない、頭の悪い、礼儀に欠けた客が多すぎて、まともに接客をするのがいやになってしまうということもあるのだろう。

しかし、それでは接客のプロとはいえない。少なくとも接客業でお金をもらっているかぎりは、最初のお客様を迎える瞬間ぐらいは「明るく、温かい態度」で接するべきである。

なぜなら、お客様自身が最初の瞬間は多かれ少なかれ「緊張している」からである。

まずはその「緊張」を明るく、温かい態度で解いてさしあげること。それが我々接客する側にとって最も大切なことであると僕は思っている。

最初にお客様とアイコンタクトをするその瞬間にお客様にいったいどんな印象を与えるのか?それで勝負は決まる。あとは流れでどうにでもなるものだ。

2020年1月20日(月)

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